
昭和53年(1978)、現住職である第16代英観が25歳で住職を継職しました。
当時、岡山大学医学部教授であった第15代沃観から寺務を引き継ぎ、檀家が無い状態から法務・布教に邁進しました。

住職ごあいさつ

住職
中山 英観
EIKAN NAKAYAMA
インテリヤクザを目指したが、インテリを自称できるほどの頭もなく、ヤクザになれるほどの根性もなく、結局、廃寺同然の実家の寺を継いだ。もちろん、私のようなダメ坊主だけでなく、仏教界には、まだまだ優れた人材もいる。江戸時代から続いてきた強固な寺檀関係がくずれつつある今、そんな優れた師を探してみてはいかがだろう。あなたの生活に、ほんの少しだけだが、新しい視点が生まれるかもしれない。

第16代住職による歩みと復興
昭和53年(1978)、現住職である第16代英観が25歳で住職を継職しました。当時、岡山大学医学部教授であった第15代沃観から寺務を引き継ぎ、檀家が無い状態から法務・布教に邁進しました。
その後、名塩の村から寄せられた浄財により損傷が激しかった太鼓楼を再建し、さらに早世した弟・孝観の遺志を継ぎ、戦時中に供出されたままになっていた梵鐘を鋳造し、平成の時代に再び名塩の地に鐘の音を蘇らせました。しかしながら、寺に災難がつづきます。
平成6年(1994)には、台風により「蓮如上人のお箸杉」と伝わる大杉が倒れ、対面所が全壊するという災禍に見舞われました。続いて、平成7年(1995)1月17日、阪神淡路大震災が発生し、本堂の漆喰剥落、本尊や欄間の落下、境内地灯籠や卵塔墓石の倒壊など大きな被害を受けました。これには、多くの方々の協力を得て、数年をかけてできるかぎりの部分的修繕を行いました。同年、当時は隠居であった前住職沃観が、全壊した対面所に代わる場として「集会所」を再建し、簡素ながらもお内仏を兼ねた「集いの場」を整えました。
そして平成25年(2013)、故沃観とその妻瑞芳の願いにより、蓮如上人ゆかりの地である卵塔墓地の大規模改修、および本堂余間壁画の修繕が果たされ、同年、医明院沃観一周忌法要および卵塔墓地改修法要を勤修しました。

僧侶プロフィール

僧侶
中山 瑶恵
YOKEI NAKAYAMA
名塩教行寺の一人娘として、兵庫県西宮市名塩に生まれ育ちました。名塩保育園から幼稚園、名塩小学校、塩瀬中学校を経て、平成21年に得度し、浄土真宗本願寺派の僧侶となりました。平成23年には教師資格を取得し、住職の補佐として寺務に携わっています。また、近年、あらためて浄土真宗の教えについて体系的に学びたいという思いから、宗門校である龍谷大学の科目等履修生などを通してゆっくりと学びを深めています。
現在は、法要や月参りなどのご縁を大切にしながら、所蔵品の整理、境内の掃除や維持管理をおこなっています。また、Instagramでは「お寺のウラ庭」など日々の出来事を発信しており、この度は教行寺ホームページ立ち上げも経験させていただきました。

欠けたままの私を生きる―
お念仏との再会
学生時代、体調をくずし、休学や留年を経験。心身ともにつらい時、仏教でいうところの「救い」など信じられず、むしろ科学にこそ幸福や救いがあると私は信じていました。自分自身を理解し、問題を解決したいとの思いから大学で心理学を学びましたが、同時にその限界にも直面しました。その後、父の病気、祖父の死、祖母の介護、身近な人たちの苦しみや死に立ち会う経験が重なり、自分の変わらない未熟さを痛感しました。そんな中、あらためて浄土真宗の教えに向かい合い、これまで私を支えてくれていたのが、まぎれもなく「お念仏」と、その教えのもとで生きる方々だったと気づかされました。
至らない身の"欠けたままの私"でもいい。仏さまの前でお念仏される方々とご一緒させていただき、出会いと別れのなか、善き先生方に導かれて今に至ります。
のんびり学びながら、
お寺と地域と共に
幼い頃、境内にある名塩保育園でとてもお世話になりました。そんな小さな頃からのつながりとあたたかな感謝の気持ちから、今でも「自称・名塩保育園名誉園児」として、ときどき花壇のお世話などもさせていただいています。
僧侶
中山 隆真
RYUSHIN NAKAYAMA
お寺の境内にある社会福祉法人名塩保育園の園長として勤務し、休日には僧侶として教行寺の護持に努めています。法要などのお勤めだけでなく、境内の樹木の手入れや掃除、事務作業など住職の補佐をしています。
私は、北海道北見市「オホーツクブルー」の広い空のもと育ちました。幼い頃から乗り物が好きで、海や船にあこがれて海上自衛隊に入隊。護衛艦などで11年間、多彩な任務を経験しました。

ご縁に導かれて僧侶の道へ
母方の家は浄土真宗本願寺派(西本願寺)で、祖母は熱心な門徒でした。そんな祖父母の家では、仏さまが常に生活の中心にあり、いただきものは一番にお供えし、遊びに行けばお仏壇に手を合わせていました。法事や盆正月には親戚が集まり、祖母の手料理を食べながら仏間で賑やかに過ごすのが習慣でした。
ただ、自衛隊入隊後は、祖父の葬儀以外に宗教とは無縁の生活でした。その後、不思議なご縁が重なって、名塩にある教行寺に婿入りしました。海上自衛隊を退職した後、あらたに保育園で用務員として勤務しながら、中央仏教学院(通信課程)を卒業して、浄土真宗本願寺派の僧侶となりました。
別れが教えてくれたこと
人生には予期せぬ別れがあります。思いもしない時、元気者だった父の闘病と死別は大きな出来事でした。 そして、その経験から、私自身、昔から営まれてきた仏さまのいる葬儀・法事について、本来の意義を感じました。先だった方たちや家族・親族を通じた仏教的な生と死の営みが、今の私の礎となっていることに気がつかされます。
この名塩の地で、ご法縁を大切に、これからも皆さまと共に歩んでまいります。






