【ご案内】令和7年永代経法要

本願寺第8代宗主・蓮如上人という人物は、尋常ではない人生を送られた方だ。
特筆すべきは、5人の妻と結婚生活を送り、男女合わせて27人の子をもうけたことである。
ただし、蓮如上人が1度に2人以上妻帯したという事実はない。
85年のご生涯で、4人の妻と7人の子どもに先立たれている。

蓮如上人の普通とはかけ離れた人生、その中で育まれた多くの子どもたちが、お念仏の教えを伝え、その後、各地でさまざまな影響を与えて今に繋がっているのである。

名塩教行寺の由緒書によれば、
当寺の開基は室町時代、この蓮如上人とする。
初代住職は蓮如上人の子どもの一人で「蓮芸(れんげい)」師であるとする寺院である。

蓮芸師は蓮如上人の八男で、記録によれば非常に聡明で上人の寵愛が深かったとある。
明応7年頃、蓮如上人は浄土真宗の根本聖典である「教行信証」にちなんで大阪高槻の富田(とんだ)坊舎を「教行寺」と名付け、下間家(しもつまけ)の者を配して蓮芸師に住持させたという。

そして、名塩教行寺の寺伝によると、名塩村の浄土真宗のおこりは、室町時代・文明年間(1475年頃か)とされる。
蓮如上人が、福井県の吉崎退出後、丹波路を経て摂州・河内など交通の要衝に坊舎をととのえ拠点としながら、畿内にお念仏の教えを広めた頃のことである。

当時、産業もなく寒村であった名塩の村人たちは、苦しい生活の中、お念仏の教えに出会って深く感銘を受け、村にも蓮如上人にお念仏の道場を請願した。
その願いに応じて、蓮如上人はお名号を安置して草庵を設けた。
ただ、村には住持をおけるような状況ではなくいと草庵だけであったようだが、村人たちが定期的に年貢米を納めることを誓うことで、蓮如上人が富田教行寺の蓮芸師(1484〜1523)に名塩を兼務するよう決められたという。 

この草庵は「中山惣道場(そうどうじょう)」と称され、永正元年(1504)には蓮如上人の後継者・本願寺第9代宗主実如上人により阿弥陀如来絵像を、続いて永正六年(1509)には親鸞聖人御影を下付された。
それらの裏書(うらがき)には、それぞれ「中山惣道場」、「名塩教行寺」とあり、この頃、教行寺を預かる蓮芸師によって名塩の地に正式な浄土真宗の連枝(れんし)寺院が確立したと考えられる。

蓮芸師は本山や富田と往復しつつ、名塩の生活向上に気を配りながら生活を送り、名塩の地で往生された(御年、四十歳)。現在、名塩の卵塔(最初に草庵が設けられた「中山」の地)には、初代蓮芸師を中心として歴代住職とその家族たちの墓碑が並んでいる。

南無阿弥陀仏

※今年も昨年に引き続いて、午前の法座では所蔵品調査の内容を踏まえて歴史に関する話も少しさせていただく予定です。